宮崎一郎/代表取締役
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ウォールウォッシャーの光 下はコーヒーショップの写真です。 煉瓦模様の壁に光が当たっていて、その光が壁に反射して客席をほどよい≪あかるさ≫にしてくれています。客席のテーブルを直接照らす照明がなくても、携帯メールをしたり、手帳にメモを取ったりするには十分な≪あかるさ≫が確保されていることがわかります。 このように壁に光を当てる照明方式を「ウォールウォッシャー・・・壁を光で洗っているみたいに見える照明・・・」と呼びますが、光を当てて壁の表情を強調することによって空間全体の雰囲気をつくりあげることが狙いです。 この狙いを本書では≪景色≫づくりと呼ぶことにします。 ウォールウォッシャーには≪景色≫づくり以外の役目もあって、一度反射した光は、直接ランプから届く光にくらべて柔らかく拡散しますから、柔らかい光で空間を満たしたい場合に使います。この場合は、ウォールウォッシャーという呼び方よりも、間接照明と呼んだ方が適切なのかもしれません。 このコーヒーショップでのウォールウォッシャーの≪景色≫づくり効果を確認するために店外に出て、通行人の視点から眺めると、オレンジ色の光が煉瓦タイルの表情と合わさって、店内のぬくもりを多くの人が通る通路に向けてアピールしています。 人を呼び込みたいカフェとしては、適切な≪景色≫づくりをしているわけです。 下の写真は、1年ほど前にオープンした羽田空港第2ターミナルの出発用の通路です。 旅客が歩く通路中央部分は薄暗く、歩行に直接関係のない壁際が明るくなっていることに気が付きます。 通路の照明といえば、人が歩く頭上に照明器具が取り付けてあって、歩く床面を明るく照らす、というのが従来の常識でしたから、かなり大胆に間接照明を採用した事例です。 通路という機能優先の空間に、≪あかるさ≫よりも≪景色≫づくりに重心をおいた照明計画で、≪あかるさ≫の面からもクレームは出ていないようです。 この2つの例に共通している点は、本を読むために手元を明るくしたり、歩くために足元を明るくしたりする、従来の≪あかるさ≫優先の照明ではなく、空間にふさわしい雰囲気づくり、つまり≪景色≫づくりに重点を置いているという点です。 光の本質を掴まえよう 次の写真は、ボーイング社のジェット旅客機の客室内です。 長く滞在するジェット旅客機の客室内部の照明は≪景色≫づくりが優先されます。ボーイング社の場合は、間接照明を全面的に採用し、読書に必要な≪あかるさ≫は手元灯を別に用意して対応しています。 曲面を描いた窓周辺の壁面や天井面を光が滑らかに沿って流れ、客室全体を柔らかく心地よく包み、壁や天井で反射した光は客席にも届いていますから、手元灯をつけなくても、雑誌を読むこともできます。一度反射したミスト状のやわらかな光が長時間の機内滞在での疲労感を軽減してくれるはずです。 つづいてJR新幹線500系の客室内です。 ボーイング社の旅客機と同じように天井に向けての間接照明はありますが、窓際の壁面への光はありません。その代わりというわけでもないでしょうが、新聞などがしっかり読めるように、通路に面して2列の半間接照明が仕込まれています。 内装材もボーイング社の場合は光をしっかり受け取るように白色が選ばれ、柔らかく反射するようにマット加工されていますが、JRの客室内の内装材は、光を受け取る工夫も少なく、反射への配慮も薄いため、艶のある材料を使っていて、床が光ったり、隠れているはずのランプが天井に映り込んだりしています。 JR新幹線初期の100系の客室内です。 網棚のところに、天井に向けた間接照明が申し訳程度についていて、中央通路の頭上に設置された二列の直接照明が主力となっている≪あかるさ≫を優先した照明計画だということが見て取れます。 ボーイング社とJR社との比較をしたのは、照明の本質を理解していない光のデザインは、無駄とクレームを積み上げるだけだという点を強調したかったからです。 光の本質を理解していないために、たとえば反射材などの選択ミスが生じ、ランプの設置位置や壁から天井へ至る曲面の作り方が悪かったりして不備が生じ、それに対してユーザーからクレームを受け、もともと本質を理解していないために、その場しのぎの解決策を講じてしまうわけです。 照明に限らず、このプロセスは、日本のあちこちで起きている悲しい光景だとも言えます。 光で≪景色≫づくりを楽しむ 最近では、照明の専門家でなくても、間接照明という言葉やテクニックを知っています。十分知っているはずの専門家でも、「新聞が読めないじゃないか!」という旅客からのクレームが怖くて、ボーイングの照明を目指しつつも、ついつい直接床を照らす直接照明をとりつけてしまったのが新幹線の照明の歴史なのです。 そんな中、時代が解決したのか、本質が理解されたせいなのか、羽田空港の通路は画期的です。 では本質とは何でしょう? ろうそく、松明の時代ではなく、コンパクトな光を自由に手に入れられる時代にあって「新聞が読めない」は、照明の基準にはならない、ということです。(基準にしなくても、十分満足されているはず・・・という意味) 字が読める、読めない、の次に来るモノサシは視環境をテーマとした照明です。 視環境というのは、目に優しいとか、目が疲れない、精神的にくつろぐ、○○らしさがある、わかりやすい、などを目指した環境づくりの総称で、「あかりによる≪景色≫づくり」もその中のひとつになります。 下に羽田空港の旅客通路に面した水飲み場と公衆電話コーナーの写真を並べました。 左右の写真を比べてみると、光による景色づくりの効果は一目瞭然ですね。 到着通路の写真です。 個性的な形をした柱と柔らかな素材の床面を光で照らし出して、旅行者を向かえる環境を演出しています。 ≪景色≫づくりのもうひとつの例は、ライトアップです。 本来ならば、日没後、闇に包まれて、その存在が街の景色の中から消え去るはずのものを、光で表情を作り直して、街の夜の景色として再登場させる仕組みがライトアップです。 これは庁舎のライトアップ例で、街のシンボルである庁舎が闇夜に現れるのは、夜の街づくりとしても重要なポイントです。もともと社会的価値がはっきりしている建築物はこのようなシンプルな投光で十分です。 建物の特徴ある部分を強調するライトアップの例。建物のファサードを構成する尖ったアーチの内側に光を当てている。建物のどの部分をどのような光で強調するかは、その建物の特長をよく理解することで決定されます。 橋というのは、本来街にとっては欠かすことのできない重要な施設です。ただ、長年使いなれてしまえば、忘れ去られることの多い施設であることも事実で、それを夜の景観の中で蘇らせる作戦は、街の≪景色≫づくりとして各地で大成功を収めています。 光には、≪あかるさ≫、≪輝き≫に加えて、≪景色≫づくりという大きな使命があるという点を、覚えて置いてください。 竹内 義雄
シャンデリアはなんのためにあるのか、考えたことありますか? シャンデリアといえば、豪華絢爛(ごうかけんらん)の代名詞で、ホテルの宴会場や豪邸の居間のシンボル的な存在です。 ところが成熟した日本の社会の中では、その反動か、シャンデリアへのあこがれは「趣味が悪い」と思われるのか、徐々に下火になってきているようです。 シャンデリアの役目 シャンデリアは、実は豪華さの証ではなく、大切な役目があります。 手元にスプーンとかキーホルダーとか、光りモノを用意して、それをよく観察してださい。特に強く光っている部分をよく観察すると何がが映り込んで光っていることに気がつくはずです。 窓際に居るなら、窓からの光が小さくなって映り込んでいるでしょうし、室内なら天井にある蛍光灯やダウンライトが映り込んでいるはずです。 天井に蛍光灯が2本あれば2本、3本あれば3本、大きさは縮小されていますが、映りこんでいます。 映り込んでいるのが蛍光灯ではなく、ダウンライトだったら、どうでしょ? 蛍光灯は小さく映り込んでもラインの形は残りますが、ダウンライトなら、光りモノの上では小さな点になります。ダウンライトが2台あれば、点が2つになります。10台あれば、点が10個、100台あれば点が100個映り込んでいるはずです。 スプーンの上に 100個の光の点が映り込めば、スプーンは否が応でもキラキラと光って美しくみえます。そしてそこにあるのが、スプーンやキーホルダーではなく、ダイヤモンドや磨き 込まれた銀食器だったら、目もくらむような輝きを放つはずです。 シャンデリアは、実はその光の下にある宝石や貴金属、磨き上げられた銀食器を、より一層輝かせるための装置なのです。 映画「アマデウス」を観ていると、シャンデリアのシーンが出てきます。 皇帝の前でモーツアルトの演奏が終わると場内を明るくするために天井の高い位置に吊り上げられていたシャンデリアが低い位置まで下ろされ、場内は明るくなります。 当時大きな空間を明るくするには、光量の少ないろうそくを沢山つけることでカバーしなくてはなりません。一台あたり100本ぐらいのろうそくをつけ、それを部屋の広さに応じて、何台かとりつけて必要な明るさを確保していたようです。
数百本のろうそくからの光で照らされている室内で繰り広げられた晩餐会や舞踏会。そこに集う人々の服飾品やアクセサリー、そして食器類は、天井にある数百個の光をできるだけうまく集めて美しく輝くようにデザインされたはずです。 時代が変わっても、当時デザインされた服飾品や貴金属、食器類はそのまま受け継がれていますが、それらを照らす天井の光の方は、時代とともに変化し、気がつけば数百個から数個の電球や蛍光灯の光になってしまっています。 星の数ほどの光を受けて光り輝いていた食器や宝石は、いまや単純な光の中でその輝きの大半を失っていることに気がつきます。 そんな中でも、ろうそくを電球に代えて頑張っていたのが冒頭のシャンデリアなのです。 高度成長期の日本では、シャンデリアに悪趣味というイメージがくっついてしまったようですが、磨き上げられた銀食器や、宝飾品にとっては、シャンデリアはなくてはならない大切な照明器具なのです。 ≪輝き≫のデザインもお忘れなく 光のデザインの中で、明るさの次に忘れてはならないのは、輝きの演出です。 満天の星、百万ドルの夜景、12月の街にあふれるクリスマスイルミネーションなど、明るさ感とともにひかりの魅力の原点とも言えるのが≪輝き≫です。 輝き感を演出するポイントは、強い光を小さく見せ、それを薄暗い場所でみせること、の3点です。
≪輝き≫にもいろいろあるはず
これらの漢字はすべて「かがやき」、あるいは「かがや」く、と読みます。 この中で、広辞苑の中で解説されているのは、輝く、耀く、赫くの3つ。 まぶしいほど光る。きらきら照りきらめく。【太陽がかがやく】【かがやくばかりの美しさ】。顔を赤くして恥ずかしがる。立派で、はなばなしく見える。明るく生き生きとして見える。【栄冠にかがやく】【希望にかがやく新入生】 と解説してあります。 「かがやく」といえば光かがやくことばかりを思い描きますが、表情の明るさやこころの張りなど心模様を「かがやき」という言葉で表すことに気づきます。 漢字から、昔の人の心の豊かさ、鋭敏な感性を伺い知ることができます。 国語辞典も版を重ねるごとに、簡便化の波を受けてどちらも可、と書かれていることが多くなっていますが、光のデザインの分野でも、ダイヤモンドは蛍光灯の下でも可・・・とならないよう、頑張りたいものです。 竹内 義雄