コラムチャンネル
みんなのコラムチャンネル。カンケンのイベントニュースや村井徹監査役のコラムなどをお伝えします。

« Main

時事問題(26)現代社会が失った大切なこと 2010年04月09日 09:00

hito_b.jpg


―文化から捉える似て非なこと―

『世想雑感』シリーズNo.10(2006年10月)にて記述したとおり、現代社会は五無主義―無関心、無感動、無趣味、無気力と無責任―が20世紀末から社会学の見地で指摘されています。このことは、社会性としての人間関係が希薄になっていることに基因します。つまり、他人の気持や立場を理解したり、理解してもらえず、心の触れ合いや思いやりを育てず、人間関係の共感・共生の価値基準が失われたことにあります。

最初に“情操”を取り上げます。日本の教育基本法によれば、教育の目的は人格の完成をめざし、人格は自己支配と自己抑制―2つを括って自己抑制力―を高めるとしています。人間がもつ心の問題を中心に置き、情緒に価値を求めています。従って、初等教育では人間だけがもつ感情領域である情操の育成と、真善美聖の価値感情の認識にあります。他方、中等教育では生き方の価値や論理を知得して自己の確立を指向しています。人間は、新奇なもの、異常なものや美しいものに接すると、驚きを覚えます。驚きは、心に強い衝撃を与え、感性は揺さぶられ、その原因探求のため理性が働きます。この驚きが、学問や芸術の酵母になります。このように考えると、情操とは豊かなより高い価値に感動し、喜びを覚える心と言い換えられます。
日本で最初の哲学辞典は、井上哲次郎が明治14年に編纂した『哲学字彙』でした。情操(センシティビティ)という言葉が初めて登場し、それまでの日本には、情けはあって情操はありませんでした。日本人が漠然と心と表現する言葉について、西欧では次の3段階を規定し、順次発達するとしています。すなわち、最初に感情(エモーション)、次に情緒(センティメント)、そして情操です。さらに、情操には①美的情操②知的情操③宗教的情操④論理的情操があります。これらはいずれも、文化的、社会的な、高度で複雑な価値観を感じとる感情です。言い換えると、知識は客観的な普遍性と妥当性であり、そこから判断が生まれ、体系化されて、感情が個人的に加味され、情操へと発展します。おぞましいことは、偏った情報を知識として教え込むと、正常な感情は育たず、まして美的・知的情操は育ちません。
上述の知的情操は、『時事問題』No.14(2008年4月)でも記述したとおり、教養は単なる知識の記憶でなく、ものごとを考え、それを通じて道徳感情や情緒を含めた人格全体を培います。このことは、無償で味わう幸福感であり、虚無主義に陥りません。そういう意味合いで、近年大学教育の場で教養教育が取上げられ、幅広い知識や人格形成を重視、いわゆる人間力の高揚と社会人としての基礎力を滋養しようとする喜ばしい潮流があります。

次に取り上げることは、“言葉と概念”です。欧州語は、約5千語で90%の相互理解が可能なのに対し、日本語は擬態語、擬情語が多く、1万語ないと日常生活が成り立たないと言われています。このことは、日本人の繊細さとか識別能力が優れているのでなく、概念として言葉が欧州語に比べて少ないようです。また、事柄でも定義することが希薄です。日本人は、何事も簡潔、明快よりも回りくどい表現が好まれて、断定的物言い、表現は嫌われます。概念とは、ものごとの本質を捉える思考法で言語化されて意味をもち、定義とは、その概念の内容を限定することにあります。すなわち、概念があるから定義できます。日本語は概念を定めないままに、外来語を輸入しています。笑い話ですが、ステイタスは社会的な地位や身分であるものの、その概念が抜け落ちてルイ・ヴィトンになり、そのハンドバックがステイタスという珍奇な解釈が成り立ちます。
日本人は、人生の意味を問うても、人間の意味を問わないまま生きています。個々の物質的な人生は満たされても、自分の人間性を吟味するのは稀です。マズロー(1908-1970)の欲求理論が最も有名ですが、『動機づけと人格』の中で人間特有の能力とは何かを定義づけて①物事を抽象化する能力②文法にかなった言語を使用できる能力③哲学(考える)する能力と指摘しています。

最後に取り上げるのは、“コミュニケーション”です。伝達と訳されますが、英語の語源は、ラテン語の他者と分かち合うという意味です。何よりも大切な要件は、相互の確認が行なわれ、合意による義務と奉仕の意識も含まれます。企業でのコミュニケーションに及べば、人にものごとをうまく説明することや、日頃から報告・連絡・相談により信頼関係を築くことにあると思われています。本来の意義には、組織全体の判断力を高めるための情報の共有化です。すなわち、ある状況について関係者が共通する認識をもつ職場環境づくりです。
日本人は、「論より証拠」というように、論争、争論、論戦という論の字がつく日本語に反感を誘います。口論は、言葉による喧嘩ですが、師と弟子たちの間柄は、師の言葉を仰せごもっともと聞き、師をあがめる風土があります。それは、今でも教える側と教わる側の不文律で、先生に楯突くのは師の方でも許し難い権威主義・事大主義があります。一方、西洋では論争こそが学問発展の礎でした。その世界で不動の地位と名声を得た人に対してさえ、論争、論破は学問の倣いでした。アリストテレスにとって、師のプラトンは、論敵で弟子の地位は不動です。

安易に国際化の時代と言いますが、日本人の言葉と意味の不連続性、国語の衰退、情操の消滅、知性の壊滅等を甚く感じている此頃です。このことを一語で括れば、人間性というヒューマニティではないでしょうか。

村井 徹