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時事問題(23)法令順守主義を問う 2009年10月09日 09:00

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ー形式的な対応の限界ー

近年、マスコミで企業や官庁の不祥事などの違法行為摘発が滞まることを知らず、持ち出される言葉が“法令順守”という意味で“コンプライアンス”です。また不祥事の度に謝罪会見の席上、「法令順守が不十分なので、その徹底を図り再発防止する」という決まり文句に終始しています。これら事件の報道は、当局の違法か合法かの判断に追従する、いわゆる善玉・悪玉の単純化になっています。さらにこれら不祥事が重複した場合には、メディアによる社会的非難も増長されます。

最初にわが国の法律史を概観すれば、明治期に近代国家建設のために、民法、刑法、商法などの基本法が欧州から輸入・導入されました。戦後は独禁法や証券取引法などの経済法令が、主として米国から導入されました。元来、欧米諸国は市民社会の中でトラブルが訴訟され、1つひとつの解決を通じて法に反映される仕組みがあります。従って違法行為は民事であれ、刑事であれ徹底的に厳しいペナルティが科されます。つまり法が柔軟に社会に適合し、その法に違反する行為を抑制するのが欧米の司法制度の根本的な考え方です。一方、日本はひとたび法律が制定されると改正されません。会計法は100年以上の制度がつい最近まで維持されました。法と実態の乖離が解消されない状況が続く一方で、違法行為に対する罰金も緩やかで、法人に対する上限は7億円で損害賠償も実損範囲に限り、米国のように懲罰的な損害賠償ではありません。日本の司法は、反社会的行為者や異端者を処罰し社会から排除する刑事司法であり、遺産相続争いや通常の手段で解決しえない境界紛争といった民事司法です。
ここ10年余、日本では経済活動について数多の法令が整備されています。これら経済法が違法行為に対する行政処分や罰則があっても、実際に行政処分や司法の場で判決が出されることは、殆どないようです。このことが違法行為の容認・常態化になっています。ゼネコンの談合システムが定着し、独禁法の違反が常態化したり、証券取引法に違反する行為が横行するのはその典型です。

1990年以降、規制緩和や構造改革の流れの中で、自由な事業活動が強調され、ルール違反や違法行為は事後にチェックするという考えです。しかしチェックしても、制裁は行政で行うのか、法人処罰で行うのかや違法行為への抑止力をどう強化するかは曖昧です。つまり経済法制全般に関わる問題は、経済官庁の所管にあるからです。また司法を所管する法務省は経済法が経済官庁であると考えて、当事者意識はないようです。法学の世界でも経済活動に関する法研究は、他に比して低調でした。従って法解釈は民事も刑事も個人中心であり、法人である企業の経済活動に即したものでないのが現状です。

法と経済の関係で密接に関連するのが、会社法と労働法、独禁法と労働法、そして独禁法と知的財産法であり、互いにぶつかりあう領域です。会社法は、会社は株主のもので株主利益を最大化する方向にあり、事業活動に必要な労務を提供する労働者は部外者になります。しかし給与や賞与は会社の利益配分の意味があり、雇用と労働条件をどのように保護するかの労働法とどう折り合いをつけるかが釈然としません。また独禁法は競争を制限する行為を禁止することで競争を促進する法律です。一方、労働法は労働者の保護を目的とし、競争とは自社と他社とのそれであり、出来る限りコストを切り詰めるために、労働者の保護が損なわれる恐れがあります。倒産や廃業によって労働者の雇用も失われます。さらに独禁法と知的財産法では、後者は知的創造を行った人にその創造物の独占権を認めます。前者は競争を促進することを目的としているために、後者の実現する価値とどう折り合いをつけるかも釈然としません。これらのことは、法令とは社会からの要請に加えて関連する別の法令の価値観も視野に入れなければ問題の解決にならないわけです。つまり体系化して捉えなければ、最近話題になっている個々の法令違反は形式的なコンプライアンスの域を出ないということです。
経済社会で司法機関が積極的に介入したのが、刑事司法の中核である検察によるライブドア事件と村上ファンド事件でした。これらの事件は証券取引法が十分機能していないために、証券市場の公正さが確保されていない金融市場のお粗末さが露呈したことでした。
安全環境にしても、企業活動によって賠償責任は故意または過失に認められる範囲に限定されていましたが、一定の危険が含まれる事業分野では、製品欠陥による他人の生命または財産が侵害されたとき、故意・過失の有無を問わず賠償責任を負わせる製造物責任法もあります。

日本では単純に法令順守しても、世の中で起きている様々な問題の根本的解決になりません、前述のように法令の背後にある社会的要請に応えてこそ、本来のコンプライアンスです。社会環境の変化の中で、企業はその事業活動を環境全体に適応していくために、組織やその構成員1人ひとりが鋭く反応するしかないとの思いです。
最後に言及したいことは、企業が法務部門主管で社員向けコンプライアンス読本を編集して研修しても、経営幹部が先ずコンプライアンスの神髄を理解し、自らの行動を律するのがスタートです。今から8年前に私がコンサルタントとして某上場企業の取締役会で、そのような見解を語りましたが、その2年後に経営トップによる不祥事がマスコミに大きく取り上げられた事例があります。