村井徹/監査役 セイコー株式会社を退職後、経営コンサルタントに携わり、現在、当社の監査役等を務める。
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ー実りある言説を求めてー
“なぜ本を読むのか?”という命題について考えれば、面白いから読む娯楽書は別として、人文・社会科学系の書物やビジネス書などに共通するのは、“知的好奇心”と“将来役に立つ”からという返答が多くなります。娯楽書の場合、自分が読んで面白いもの、例えば名探偵の推理であれば本格ミステリを、歴史上の英傑であれば大河小説です。一方、教養書を選ぶ場合には、建前は“自分の知らない知識を得る”“何かに役立つ”ことを選択しますが、本音では“自分が読んで心地よいと感じるもの”“自分を安心させてくれるもの”を実質的には選択しています。つまり自分が日頃から持っている考え方や感情を後押ししてくれる心地よい本を選んでいます。このようにあいまいさやあやふやさがあるのではないでしょうか。
世の中には多くの人から支持されている社会、経済、政治に関する言説ム解釈・提言ムは正しさや有用性とは無相関である場合が多々見受けられます。日頃、私たちはこの言説の正否を判断する知識習得に手間がかかるため、どの言説や主張を支持するかを自分の頭で考えるよりも、“世の中で多くの人が支持している考えが正しい”すなわち「常識」に従って賛否を決める方が合理的と見做します。私たちの日常生活を支えているのは常識ですが、やっかいなことは、事実誤認に基づく常識は正しくないことです。例えば「蟹味噌は脳みそである」と思っている人がいますが、「蟹味噌は肝臓に近い臓器である」と教えられれば、誤った常識から簡単に抜け出せます。もっとも自分の生活に何ら関係もない言説であれば、何の害もありません。 しかし経済、社会、政治といったあまり身近でない問題について常識から脱け出すのはそう簡単ではありません。ある言説を聞いたうえで、それに納得することが必要だからです。私たちは誤った解釈、見解や無内容な主張に納得してしまうのは、他の人の意見を聞いて判断する際に心の働きが作用しています。つまり社会、経済、政治問題に関する言説に対して、私たちの頭で捉えているのは、論理やデータによって妥当性を確かめる理性ではなく、その意見が自分にとって都合がよいかや自分の思惑に合っているかという打算や好悪の感情が働きます。この感情が理性を上回る力を発揮しているからです。
近年、日本でも政治政策の提言であった構造改革論は、構造という言葉の多義性によって、大多数の国民に“自分が日頃問題だと考えていることを改革する”というイメージを抱かせます。人は情報を記憶するときに自分に関係することや日頃気にかけている話題に引きつけて記憶します。そして自分と同じ見解や共通する主張に心地よさを感じます。 構造問題とは重要かつ基礎的問題であるために、構造問題が重要という主張に誰も否定できません。改革と保守という言葉上、大多数の人が改革の方にプラスイメージを持ちます。1996年に誕生した橋本内閣は、行政と財政改革が中心的政策課題でしたが、特定問題の提言のために全国民的な支持を得られませんでした。その後の小泉内閣では“構造改革の本丸”という郵政改革・民営化は、彼自身の20年来の主張であり、あれ程に国民の支持を得られたのは、郵政民営化が誰もが支持できる構造改革の1つとして位置づけられたからです。今や財政再建のための増税、生活保護制度の削減や憲法改正までもが“誰も何となく納得”する事柄になりつつあります。このように構造改革に類するものは何となく良いという考えが定着すれば、個別政策に対して理論的検証を行うとき、構造改革の一部に抵触すれば受け入れられない恐れが生じます。 上述のように言説の妥当性や実効性とは関係なく、多くの人の気分や雰囲気にかなうとき、その言説は多数の人が何となく正しいと捉えることになり、何となく常識となり、場を支配する「空気」になります。極端な場合には、科学的根拠自体が空気に適合するように再構成されるようになります。 何事であれ、提言は解釈が先行し、その上で効果のある対策が続きます。社会科学問題について100%正しい解釈を得るのは不可能であり、必ず成功するわけではありません。失敗したら致命的損失、リスクが現実のものになったとき、損失を軽減する方法と手続きを整備しておくことが大切です。この考えは企業にも適用できます。 社会科学上、“経済的な豊かさ”“本当の豊か”というフレーズは、定義が明確でない概念が不明確であるため収拾がつかなくなります。経済的な豊かさの代表的指標は1人当たりの国内総生産(GDP)を使いますが、その分析ツールのすべてではありません。また本当の豊かさでは数値化できず、反証不可な議論です。 ものごとを捉える思考法には(1)現実を丸ごとそのまま総合的に解釈する総合的思考(2)問題を分割しデータを検証する分析的思考があります。通常私たちは(2)に従います。 私たちは何らかの論理的な結論を得ようとする場合には、定義の曖昧さ、無機質な言葉から出発すれば、曖昧な結論しか得られません。私たちが社会問題を考えるとき、次の4つに区分して主張を捉えます。 (1)理論的にも実証的にもある程度妥当性がある主張 (2)理論・実証面で難点があるものの、原因として否定できない主張 (3)理論と実証面で整合性もなく、原因とは言えない主張 (4)する内容も意味もない主張 ビジネスの場も含めて上記の(1)(2)に主眼を置き(3)(4)を出来るだけ排除した方が賢明ではないでしょうか。
村井 徹