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ものの見方・考え方(8) 2009年02月20日 09:16

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心の闇−不安と恐怖の捉え方ー

前回指摘したとおり、私たちの人生を彩る日常的で微妙な感情が喜怒哀楽です。
今回のテーマは情動の中から不安と恐怖を取り上げます。
日本人は不安に基づいて行動する人の割合が多いのは、土着性の高い単一農耕民族であるために、社会の変化を不安と感じやすいからだと言われています。
精神科医の本によれば、不安には2つあり1つは“健康な不安”という対人関係や社会的役割を巡る不安で対象や理由があるために、他人に自分の悩みを話し助言を受けられます。もう一つは“病的な不安”という対象や合理的な理由がなく、あっても種々錯綜してよく分らず、胸苦しさなど身体症状を伴います。日常での種々の不安は誰にでもあるものの、社会生活に支障をきたさないのは、体内に免疫機能と同様に心にも防衛機制という不安を紛らせたり、忘れさせる力があり、健康な不安では不安に負けず努力して成長したり、不安克服法を身につけたり、不安への耐性が強くなっているからです。

人は社会の中でどんなことに価値を見出しているかは人それぞれに違います。このことが不安の感じ方に影響します。一般的に大きな不安は自分の将来が見えないことに基因します。企業は今や親方日の丸ではなく、個人個人が将来をどう考えるかの時代で、情報過多も不安を増長します。
では不安や悩みを克服するには、どうしたらよいのかですが、心理学でいう“受容”すなわち先ずは自分のありのままの姿を受け容れることでしょう。不安や悩みに立向うことは苦痛ですが、自分の個性や特徴を確認して人は人、自分は自分という意識を芽生えさせます。日本人は自分を他人と較べる性向が強く、自己嫌悪や劣等感に陥って不安になります。人生は一直線ではなく、ちょっと休んだり、一歩下がったり、退却が必要です。自分らしい生き方の発見、再発見が大切です。さらに不安は自分の能力や自分が置かれている環境に満足しない欲求不満から起きることもあります。ゲーテは「人間は努力する限り、迷うものだ」と言っています。迷いは不安でもあり、現状を変えたい気持ちがあれば、前に進むことが大事で、失敗しても教訓を学べます。不安があっても、健康さがあれば、不安を原動力に転換させるメリットになります。
次に恐怖は危険から遠ざかる基本的情動の1つです。一般的に子どもは大人よりも恐怖に襲われ易いのは、10代の終わりまで脳の前頭葉が成長しきらないためと言われています。これが成長すると、現実を分類したり、選別したりして因果関係を決められます。思春期に入ると、死や怪我に対する恐怖が強迫観念に近い程強くなる子どもがいます。一方、大人の恐怖は健康の悪化、失業、別居、離婚、身内の死などで、女性より男性の方に悪影響を及ぼすのは、女性が概して情緒面が強いからです。
総じて人間は未知なものに恐怖があり、先進国で女性が男性より平均して5〜10年寿命が長いのは、女性の大脳半球は男性ほど機能分化されていないために、相互のつながりが強く脳に柔軟性があるとの理由があります。
精神が正常な人は、肉体的苦痛だけではなく精神的苦痛も体験し、その両方を恐れます。後者を経験したことがなければ、他者の感情を汲み取ることはできません。脳に自らの経験を基に、他者の肉体的ないしは精神的苦痛を感じるシナリオをつくるからです。
私たちが人生で意欲、活力、成熟や深みを得ているのは、不安と恐怖のお陰ともいい得るのかも知れません。私たちは不安や恐怖に立ち向かい、克服する努力と熱意が必要ではないでしょうか。このことは子どもを持つ親にとって、子ども時代に喜びや悲しみ、苦しさや悔しさ、幸福感や不幸感、そして不安や恐怖まで、種々な感情をバランスよく体験させることです。そうすれば困難に直面したとき、克服する力が強くなります。

村井 徹

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時事問題(19)組織とはなにか 2009年02月10日 09:00

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−機能体と共同体の違い−

社会の仕組みはすべて組織で動いています。日本の組織は、官僚機構、企業組織も個人の家庭も社会環境と経済状態に適合して形づくられています。
組織とは、ある目的をもった集団ですが、大別して共同体と機能体の2つがあります。本来、この2つは構造、機能も目的も違っています。
共同体組織とは、家族や地域社会など自然発生的なつながりで生まれ、その構成員の目的は満足を追求します。従って構成員それぞれの目的指向が重要になり、評価は人格です。
一方、機能体組織は、外的な目的を達成することを旨とする組織で、構成員の満足は手段であり、本来の目的は利潤の追求、プロジェクトの完遂であり、組織外の目的を達成することにあります。従って強さが重視され、このタイプが官庁、軍隊や企業であり、評価は能力と実績が尺度です。
近代の合理的精神が発案した組織形態が企業、とりわけ株式会社です。人間を能力で雇用し、その能力を最大限に発揮できる役割分担体制を採って、人柄より能力を重視します。

西欧の考えでは、機能集団の組織にはルールや各人の役割分担をできるだけ明確にして、各人が組織内でこれだけは必ず守るという約束事があります。従って各人が情実や相互扶助といった余地はありません。一方、日本では官庁、学校や企業でも、同調圧力が強く組織内部で情緒的な一体感を重視し、各人が互いに気をきかせ合い補いあっていく秩序が根底にあります。このことは共同体と言える情実やしがらみになり、戦後60年余りを経てもなお続行する官公庁の談合があります。企業内で組織のリーダーも、個人の能力、業績や指導力よりも年功、人望や根回し上手といった情緒的要因が、周囲から推奨されます。
上述の機能集団は、組織に主体性があり、組織内部の役割や責任ばかりではなく、人々の業績評価やリーダーの選抜基準を明確化します。リーダーはその権限の範囲内で存分に組織を動かせます。現にホンダ、キャノンやデンソーといった国際的企業は、時代の変化に順応して自ら構造改革を進め、明確な戦略に基づいて内に対しては絶えず自己変革を、外に向かっては能動的な進行や防御を行い、時代に先手を仕掛け十分な主体性を発揮しています。

前述の自己変革や防御について言及すると、日本人のコミュニケーションは、古くから“ぼかし”にありました。信長時代の宣教師フロイスは、その著書で「欧州では言葉の明瞭を求め、曖昧な言葉を避けるが、日本は曖昧な言葉が優れ、最も重んじられる。」と記しています。このことは日本語の特質ではなくメンタリティに基因しています。つまり自己主張が乏しく自己防御が働いているのではないでしょうか。中国や韓国はユーラシア大陸に位置し、古代から民族が覇を競い衝突を繰り返してきた歴史があります。それには自己主張と自己防御なくしては、環境に適応できません。一方、日本は近代まで異民族との衝突は元寇を除いてなく稀有な歴史でした。
国内の戦争は内乱と言い、すべて領主間の戦いであり、互いにわかり合っているために、自己主張も不要で、それを生みだす自我も不要でした。わが国は同質性が言葉よりも情緒、“以心伝心”のコミュニケーションの土壌になったようです。この一体感という連帯が“和”であり“ぼかし”です。さらに、この外面のぼかしが外面でも心理的作用しています。自分の内面で生じる矛盾を受動的に解消するために欧米人には分かりにくいあいまい化したタテマエとホンネです。一方、西欧人は能動的に解消するためにダブル・スタンダード(二重基準)を適用します。

もう1つ付け加えれば、社会問題化した子どもの教育のあり方は、子どもが個として成長し自立する過程まで、自分にふさわしいと思うあるべき姿や価値観を選び出し、自分の人生や社会で実現する志を立てて行動できるよう教育することにありましょう。その姿や価値観は人それぞれであっても、摩擦や葛藤を恐れずに互いにその利点や優位性を主張したり、コミュニケートすることが大切です。このことは、教育にとどまらず、政治経済や社会のあり方に至るまで競争と共生がバランス上、必須です。

最後に機能体組織は、目的・目標を達成するために、その仕組みや人材配置を最適化しますが、衰退に陥る原因に次の3つがあります。
(1)組織の共同化
これは組織がつくられた目的とは別に組織自体が目的化します。構成員を固定化すれば、その地位向上と権限拡大を目的化し、共同体意識が生まれます。
(2)環境への過剰適応
これは現在の環境に安住し、環境変化に適応できなくなります。ある環境に適応しすぎると改革もできず、外部より内部擁護に注入します。
(3)成功体験への埋没
人は1つのことで成功すると、それを繰り返す習性があります。組織は個人よりも成功体験に溺れ易く、権威と権力を強めます。その弊害は創造性と改革性が失われ、方法論が同じ繰り返しになります。

日本企業は、長く量的拡大と利益の前年比増を追求しましたが、今後はあるべき姿としての理念・理想像として、どんな会社になりたいか、なにをしたいのかといった命題が重要です。その現実に向けて適わしい人材と利益体質を定めます。
企業の命運とは、人を束ねる組織の盛衰にあると言っても過言ではありません。

村井 徹

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