村井徹/監査役 セイコー株式会社を退職後、経営コンサルタントに携わり、現在、当社の監査役等を務める。
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ー不滅な格調を求めてー
武蔵は歴史上の人物の中でも飛び抜けて人気が高く、その本質は強さであり、彼の武道(剣客)の強さが精神的な強さ、すなわち生き方そのものに由来している感がします。 17世紀初めに生きた彼は、長い戦国の世が終未を迎え、武士倫理としての朱子学が定着する前の時代の節目に生きた孤高の人です。 代表的な自著『五輪書』や吉川英治著『宮本武蔵』が今なお愛読される所以は、展開されている思惟が剣術を超えてあらゆる人が自分の生き方と照らして考えさせられる内容を備えているからです。正に当書には単なる兵法の原理だけではなく、大局的判断や道理の考え方など現代に通じるものが示されています。他者を容易に受け入れず、妥協もせず、人の説も受け入れず、自前の思惟が持ち味になっています。また“諸芸にさはる”ことを説いています。彼にとって兵法以外の道で、画家としても傑出した作品群を残しています。絵筆をとることも剣を持つことに通じ、筆先に剣の鋭さともいえる疾さ、高さと強さを表現して厳しさが現れています。彼のように鍛錬を重ねた人間にとって、森羅万象が剣の道につながっており、深い1つの体系であるような修行を感じさせます。 座禅もどんなときにも動揺せず、意識を途絶えさせない精神を生む場でした。そもそも日本で座禅が流布したのは、宋から栄西が帰国して臨済宗を伝えた鎌倉時代直前でした。この禅宗が武家の文化形成に影響を及ぼし、室町時代以降、手厚い保護を与えられました。禅寺から生まれた水墨画、書跡、能楽や茶道などが禅の表現です。
社会とはその内側にいる人は、そこで流れているものの見方に染まっていきますが、染まった方が生き易いからです。大勢に準ずれば対立や軋轢から逃れられます。染まれば自分の頭で考えません。一方、彼の魅力はその時代の常識や通念の枠を超えて、時代を超えて現代に通じる思想があります。 現代は自分の身は自分で守り、自分の人生は自分で切り開いていく、何事も自分で考え判断する生き方が求められています。他人なり組織なりに自分の人生を委ねることなく、自由であればあるほど、決断、不安がつきまといます。彼の凄みは戦闘のどんな場面でも、活躍できる武士でなければ、使いものにならないという考えです。 現代マネジメント論からみても、どんな仕事でも一芸にこだわらず、水準以上の仕事をこなす全方位の能力をもたなければ、本当に役立たないと言えます。現代人はなんでも結論だけを知りたがる風潮があります。テレビのコメンテーターはもっともらしく道理にかなったような結論を提示したがります。このように重要なところのエッセンスだけを分かり易く知りたがります。つまり、マニュアル化した学び方です。マネジメントの基本が情報の共有化にあり、社員は自分の仕事をしているだけではなく、その仕事が全社的にどういう意味をもって、どういう因果関係に置かれているかを把握しなければ、社内の趨勢についていけません。プロジェクト型組織では、長年培った人間関係に基づく仕事ではなく、常に新しい上司とチームワークを構成して仕事を推めます。新しいテーマに対応するには、専門的に狭い視野を離れて全体的な認識や能力が必要で、これが成し遂げられればプロです。 企業で言えば、損益計算書がフロー、貸借対照表がストックです。給料をフローと見做せば、ストックはいくら貯蓄し、その中から投資して自分の価値をどれだけ増やしていくかの管理があります。これからの時代は、自分の能力(=資産)をフローとストックのバランスをとりながら、持続的に自分を形成していくことが肝要です。そして自分と他人とのネットワークを築き上げ、人とのつながりが新しいものを生みだす源泉です。 近年、仕事の時間であるオンタイムと自分の時間であるオフタイムのバランスを考えることが重要視されています。仕事を円滑に遂行する能力とは別に、オフタイムを使って自分の生きがいや目標を実現しようとするもので、柔軟な思考力を培ったり、幅広い知識を養うことが、仕事上でも活躍の場が高くなります。
最後に、司馬遼太郎流の表現で括れば、剣を学ぶのもその格調を高めるためであり、書を読むのもその格調を高めるー女がその美貌を守るように、男はその精神の格調を守るということです。
村井 徹