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仕事・忙中閑あり(その22) 2008年04月21日 09:00

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仕事・忙中閑あり(その22)

今回のテーマは「企業の合併・買収(M&A)」です。今や中堅・中小企業を巻き込んで進攻するM&Aを、どう捉えたらよいかを記述します。最初に企業買収を取り上げます。一般的には企業を買収する場合、株式公開買い付け(TOB)によります。これは株式の購入を希望する投資家や企業が多数の株主にその目的、価格、買付け予定株数、期間等を公表し株式を買い集める方法です。
企業がなぜ買収するかと言えば、買い手側に事業展開の加速化、競争力の強化や業容拡大のために積極活用するねらいがある一方、売り手側には資金難や後継者不足、業容の限界といった問題が、中小企業も含めて直視する時代に突入しています。
注目すべきことは、大企業が中小企業を飲み込む事例だけでなく、大手企業がリストラ対象とした撤退事業を中小企業が買い取る事例があるということです。また証券会社、銀行ファンドなどがM&Aビジネスに力を入れ、情報や買収資金の調達を支援し後押ししています。
買収による果実を手中に治めえるかは、あくまでも買い手側の経営者の手腕次第です。資本の論理だけで押し進めるのではなく、売り手側の従業員や取引先を納得させる今後の成長ビジョンを示せる周到な準備と買収後も1・2年従業員や賃金に手を付けず、現行のまま営業を継続させ、2年後に予め設定した業績目標(いわゆるコミットメント)が未達の場合、幹部層を解任するとい行った対応がなければ成功は覚束ないようです。
また、05年にアパレル大手のワールドは、買収されるリスクを回避するために、経営陣による企業買収(MBO)を実施し、株式を非公開化する動きもありました。

次に、合併問題に移れば、日本の合併の歴史では、両者が健全な会社であればあるほど“対等合併”という文句が枕詞となり、実際に対等の合併をした結果、両者の組織や人事制度などが各々にそのまま残り“たすきかけ人事”と称される慣行で、合併後も2本立ての昇進・移動が行われる事例が多数あります。企業合併は、本来2つの会社が一緒になって、より効果的な経営を行い、相乗効果をねらうのが目的ですが、経営合理性を無視して、無駄な仕事を増やし従来にも増して非効率的な運営になります。すなわち日本独特の文化風土があり、勝負をはっきりさせたり、強者が勝利者となることを忌み嫌う感情があります。従って企業合併という経済行為でも、どちらにも勝者でも敗者でもない対等が尊重されます。
M&Aに関する“敵対的買収”についても取り上げます。前述の通りM&Aは企業の競争力強化の手段ですが、経営トップが価値向上に努力せず、保身に走る企業に対して、友好的買収ではなく“敵対的買収”を仕掛けられます。この買収法は通常現経営陣に対する敵対的姿勢であって、買収可否の最終判断を下すのは株主です。収益向上策の限界を露呈する現経営陣に対し、株主が買収防衛等の発動を否決し、新たな買収者を支援することもありえます。

最後にグローバリズムについて言及すると、M&Aを加速する背景には、グローバリズムがあります。世界市場は限りなくひとつになり、効果的で競争力のある企業が繁栄します。換言すると、自由市場の中で効率的な会社と非効率的な会社が容赦なく選別され、淘汰されていく世界です。さらにITの革新的な進出がグローバル化の速度とその規模の拡大をもたらし、世界の単一市場化が進展します。この競争の激化が、企業に再編を促します。世界市場が大競争時代を迎えるとき、厳しい競争に打ち勝つために、企業の合従連衡が始まり、従来ではありえないような合併・再編も増える資本開国に晒れ、経営陣は資本と経営の質を見極めて舵取りすることが肝要です。

村井 徹


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時事問題(14)教養とはなにか 2008年04月11日 09:00

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−歴史的変遷と現代的意味−


2006年に国際基督教大学(ICU)で“日本でのリベラル・アーツ教育をどう広めるか”と題する興味深いシンポジウムが開催されました。リベラル・アーツとは教養のことであり、教養教育の再建が討議内容でした。近年、国際教育学部やそれに類する学部の新設・再編が目立っています。
わが国の教養教育の歴史を俯瞰すると、江戸時代までは中国の儒学との長い交わりにより、儒学の本質である規範に則り受け身の立場で枢要の書である四書五経を中心に藩塾及び私塾を通して、自己と社会の秩序形成を目的に1つの教養が成立していました。幕末1853年に黒船来航後、開国派の思想家佐久間象山の門下生であった長岡藩士小林虎三郎は「何よりも人物をつくれ。民度の高さはただ一つ教育に有り…」と説き、郷土で東京より3年も早く小学校を開校し、近代的学校教育の普及を図りました。
教養と言う言葉は、私が知る限り、19世紀以降のドイツの考えが伝播しました。ドイツはイギリスやフランスのように市民革命を経験していないため、いかに市民層をつくるかが課題でした。従って市民として充実した内面性を養うため、学校教育の場でギリシア・ラテンの古典を教えたことに起源があります。明治初期は秩序と教養の担い手であった武士階級が崩れ、他方、西欧の価値観が急速に導入され、国家目標であった富国強兵、殖産興業が教養への新たな方向づけを容易にしました。換言すれば、明治に共通する教養は和漢の古典の素読を受けて育ち、ドイツ的、プロテスタント的精神と儒学にあったわけです。その試みは大正、昭和初期に至るまで紆余曲折を経てそれなりに成果がありました。敗戦後、古典的な教養の解体が行われ、今日の情報技術の進展、国際化や大衆化の波が我が国で営々と築き上げてきた教養の観念と実体を打ち砕きました。その結果、人間は普遍的ではなく単一的であるとされ、人びとは個として考えることを放棄して画一性と便宜性を幸福と捉えました。しかし教養と教育は表裏一体ではないでしょうか。

旧制中学校であった京都一中(今流では中1〜高2までに相当)では科外読物の教養書は3年級以下に適当なものとして勝海舟『氷川清話』大町桂月『代表的日本人』坪内逍遥『世界文学物語』他33冊、英文原書『イソップ物語』他3冊、さらに3年級以上に『通俗世界全史全15冊』松村介石『ソクラテス』丘浅次郎『進化論講話』他51冊、英文原書『シェイクスピア全集』『ギリシア・ローマ史』他15冊でした。この書目一覧には儒学倫理に類するものは『四書』だけで、また立身出世型の書物は見当たりません。東西古今の名著が選び抜かれています。こういった良き伝統は戦後の新制大学では“一般教養”“教養部”として1949年一高が変身した東大駒場キャンパスやICUなどの教養学部としてある程度受け継がれたものの、教養科目が単に入門編であったり、十分な役割を担えないままに、1991年の大学設置基準改定法により、大学から一部の例外を除き教養教育が消えました。しかし今日でも都内の私立中高一貫校では必読本を義務づけています。これら科外読本を通じて読書は“行”としてその習慣と伝統を培い、読書を軸に友情を介して人格形成を行う時代でした。教養学部とは大学の専門に分化する前に一般的・総合的な教養を主とする学部であり、幅広い知識と識見を育むことにあります。教養小説とは主人公の人格形成発展を中心にした小説であり、1960年代までは阿部次郎『三太郎の日記』が著名で青年に広く愛読されました。今日の大学教育では学生は学問の基礎・基本が教えられず、また自己啓発もないままに入学早々から専門教育の一分野に閉じ込められ、教授陣も学問が細分化、専門化されてスペシャルリスト化し、専門家と教養人とは相容れません。このことは学生課程で教養教育を身につけさせ、大学院教育で充実した専門教育を行っている欧米の高等教育との落差が増すばかりで、レベル劣化を助長しています。我が国の近代教養理念の創始者は和辻哲郎という人で1918年に『総ての芽を培へ』の中で「日常生活に自然に存在しているのではない色々な刺激を自分に与えて、内に萠え出でた精神的な芽を培養しなくてはならない。このことが一般教養の意味です。数千年来人類が築いてきた多くの精神的な宝−哲学、歴史、芸術、宗教−によって、自らを教養する。そこに一切の芽の培養があり貴い心情はかくして得られるものです。」と記しています。

現代は教養がなくても何不自由なく生きていけます。しかし1人ひとりは本人の勝手であってもそういう人間ばかり集まって生きていく集団や社会には創造力や秩序を形成していく原動力が枯渇します。教養と伝統、教養と教育が不可分であり、真の国際人とは自国の文化伝統の理解なくしてはコミュニケートできません。
現代では曽つての知識人と無知な大衆という二極化構造は失せて、何人も内外のあらゆる情報に精通できる時代です。大衆がインテリ化し、インテリも大衆化しその意識や内実も均一化しています。しかしその落し穴は情報は知識ではなく、また知識は知性でも知恵でもないことです。いつの時代であっても、変らない人間の本質とはカントの言葉にあるように「道理に存する限り幸福が目標ではなく幸福に値するように生きる」このことが大切でしょう。総括すると、専門教育が“専門知”であるならば、教養教育は、“総合知”の形成であり、後者は個人が主体的・自立的に人間らしく生きていくための“人間力”の形成です。教養とは知の楽しみであり、損得で計り知れず、何気なく見ていたものに意外な発見があります。専門にこだわらない世界が可視でき生きている値打ちもあります。
最後に、自立した大人に相応しい読本として『日本の名著必読書50』木原武一著・海竜社刊を紹介します。

村井 徹

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