村井徹/監査役 セイコー株式会社を退職後、経営コンサルタントに携わり、現在、当社の監査役等を務める。
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仕事・忙中閑あり(その18)
今回のテーマは「経営者の役割」です。 2004年に日経が発表した“平成の名経営者”調査で。経営者を見識、先見性、統率力、業績と国際性などの観点から選出していました。私見では、経営者とはトップマネジメント層を占める一群の人たち、すなわち取締役構成メンバーに執行役員を含めています。 経営者は、資本の所有とは別に、マネジメント機能である方針策定、目標設定、意思決定、組織と人事、指示・調整・指導・統率など戦略策定から日常的運営機能まで携わります。 日本的経営では、サラリーマン経営者が戦後台頭して、1つの組織の中では上司から引き上げられ経営者(取締役)に昇進する組織主義があります。これからは人間関係への配慮やバランス感覚がより重視された集団合理制です。ものごとは一長一短があり、この内部昇進は社内の周辺動向に気を配り、リスクの回避し調整型に陥る通弊があります。 元来、経営者の3大機能は、次にとおりで経営者の果たす基本的な役割です。 1. 将来のビジョン構築と経営理念の明確化 前者は種々の要素を有機的・複合的に洞察し夢を描くもの、後者は経営者個人の考え方だけでなく、自社の歴史や文化にどう取組むかを明らかにすることです。 2. 戦略的意思決定 現在、将来にわたって何をすべきかを決断することで、最重要な事項で自社の存亡を左右する意味合いがあり、その領域には次の3つがあります。 (1) 事業変革、再編、買収、合併、提携から組織・意識変革などその範囲は多岐に亘る。 (2)解決すべき経営管理上の諸問題について、適切かつ有効な解決策を選択するための意思決定である。 (3)日常的なマネジメント上の問題として収益性、組織内調整や人間関係などの効率性などの諸問題を扱い、中間管理層(マネージャー)と重複する分野でもある。 3. 執行管理 経営者の日常的管な役割で、組織員への動機をづけ中心とする対人関係機能や取引先、金融関係、対外活動といった分野である。
最後に、自社の執行役員会制度に言及すると、そもそも当制度は会社法上の取締役と経営業務の執行を請負う執行役員とに分け、各々の役割分担を明確にするということにあります。すなわち会社法上の取締役は経営執行の監督(ガバナンス)機能を担い、執行役員は代表取締役から権限委譲を受けて、経営の執行(マネジメント)機能を担う役割分担です。しかし日本で実効があがらない実態があるものの、自社の場合、現場主義の考え方をより重視し、権限委譲して現場組織を自律的に束ねる指揮官を、2005年4月から執行役員に任命した特異な経緯があります。
村井 徹
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—顧客主義の広がりを憂える—
米国は自由主義的傾向が強く、自由を求めてつくる共同体(コミュニティ)に対して官公が介入しないことが伝統であり、それが民主主義です。フランスは平等主義的傾向が強く、共同体に分断されることなく、国民全員が個人として社会(ソサイエティ)に属する連帯を強く受けます。 日本で広く共有される民主主義観は、自由主義と地方分権を旨とする米国型民主主義です。 今回の問題提起は、社会の真相に蔓延する顧客主義です。顧客主義とは、欧米で確立された経営手法で、商品の機能や品質の格差化が難しくなるに担い、顧客サービスの個性化により消費者を獲得する考え方です。すなわち顧客の期待や信頼無くしては生き残れないという顧客本位・顧客満足を基本とします。 商売なら顧客主義は一理あるものの、カネを払う客がエライということが社会に広がると弊害をもたらします。 最初に取り上げる事柄は、2005年某建築設計事務所がマンションやホテルの建築確認・検査に際して、耐震強度などを偽装した構造設計書を提出し、民間の指定検査機関が正当なチェックをしなかったことに起因した事件です。かつては建築確認・検査は、すべて地方自治体が行っていましたが、1998年官から民への流れを受け改正建築基準法が可決去れ、翌年から民間事業者にも開放されました。2004年には民による確認・検査が数の上で官を上回り、当初の意図のとおり、顧客はサービスのよい民間検査機関を選びました。しかし民間機関は営利企業であり、機関にとって建築業者や住宅メーカーはお客様です。時間をかけて厳しい検査をすれば。客に嫌われます。しかも民間機関の中にはお客様である建築業者や住宅メーカーなどから出資を受け、株主の企業から建築確認を受け負うところもありました。当時のマスコミの論調は、民間業者ばかりを槍玉に挙げ、このいびつな制度的構造を問題視しませんでした。“官から民へ”という規制緩和にしても、現状の官に問題点や能力不足があるかといって、単に民間参入で解決するとは、極めて安易な発想であり貨客指向という商業主義のサービス化がどんな副作用を招くかを想定できたはずです。
次に取り上げるのは官と民の相関です。今日では官庁や地方自治体に対する市民感覚にもお客様意識が浸透し、官などに対する苦情や不満が多くなっています。国民からみれば、公務員が社会全体の公僕として役割を正しく果たしているか否かを監視するところであり、国民は官公にとってのお客ではないはずです。税金は社会全体を構築するコストであり、個別の市民にサービスを提供する対価でなく、社会全体を守るための負担です。福祉の場合、皆んなが高い負担を引き受け、誰もが福祉の受益者となる仕組み、すなわち連帯を原則としています。従って納税者が自分に対するサービスが悪いという理由で官を非難するのはお門違いになります。また自分が求める個別サービスは、それを直接提供している民間業者にカネを払って依頼するのが筋です。
最後に取上げたい事柄は、大学教育の場です。国立大学は法人化され、各大学は自由競争で経済的に生き残る術が必要になりました。この生き残りとは、教育や研究ではなく、企業と同様に経営です。大学は学生というお客をどれだけ集めるかが問題の中心になり、受験生のニーズに応える顧客主義が何よりも優先されます。このこと魅力のある大学づくりの改革とは、似て非なるもので、受験生の好みに中身を改革するやり方であり、顧客満足が第一です。今日では受験生や大学在学生も自分たちがお客であると思っています。楽しい科目や授業を提供する、立派なレクリエーションをつくる、そして就職は大学で世話するといったことを願望し、顧客主義の代償としてカネを払う手筈です。従って在学生という顧客が要求しない本来の学問である心理の探求や文化の涵養は軽視されます。今日の大学生は、大学の単位を取得し、資格を取り、就職してカネ儲けに支障がないかも知れませんが、大学時代に、“理論とは何か”“自由と平等とは何か”“科学とは何か”といった根源的命題に真摯に向き合う機会を失なえば、カネを払ってサービスを買えても、カネで学力と実力は買えません。大学に学問の自由や教育の自由も失せて利害中心に陥ります。つまり目先の私的利害以外のものが考慮の外に置かれる危うさがあります。大学教育が個人の利益を確保する人材を育てても、社会を担う人材を育てなくなります。これでは社会全体の発展は覚束なくなります。要は学問が“問題解決の手段”へと矮小化してしまうことも、顧客主義が全体的する弊害です。 バブル以降の日本社会は、多くの矛盾や問題を抱えています。ともあれ、われわれは何を目指し、何を欲し、どこに向かうのか・・・といった根本的な問いを曖昧にし、放置しています。目先のことだけを選択すれば、全体の方向が混乱するのは必然です。後に続く世代の事を考えれば、有識者1人ひとりが深く思い巡らす必があるのではないでしょうか。