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—目立ちたがり屋の心理—
“能ある鷹は爪隠す”“出る杭は打たれる”と言うように、曽って日本社会が共有していた価値規範には、目立つ者を否定したり、控えさす心理があり美徳でした。正に目立とうとしないことが好意的で賞賛と評価を得ました。このことは自己宣伝や自己顕示に対して拒絶意識があり、その根底に利己心の行動を禁じる自虐性、依存性も対人関係上、協調性の下に同調行動を良しとすること、さらに強迫性も秩序重視のため画一的な行動を良しとしました。これら自虐性、依存性と強迫性の3つのパーソナリティが社会全体で共有した価値規範でした。
2005年の衆議院選挙の比例代表で当選した杉村議員は、彼の言動が率直・新鮮・面白いと7割の人々が肯定的に評価しました。政治家として1年生で取り柄のない若者に興味の対象とし肯定する大衆がありました。現代社会は単一的に目立つことが肯定的な社会と言えないようです。いじめ問題は下手に目立てば標的になり、目立たないことが安全だからです。しかし社会では目立つ人がテレビ画面の中でもてはやされ、目立つことが歓迎されています。
目立ちたがり屋の代表は“演技性性格者”です。彼らは芝居がかった感情表現を得意とし、外的なことばかりに関心があり、他人にどう受け入れられるかに注目します。この種はオーバーな行動に捉われ、内的誠実がなく、ギャグを飛ばしてウケ狙いのお笑い系です。街中で“超かわいい”“超サイコー”など“チョー”の語に力をこめて、目を大きく見聞く大げさな表現に接します。この反応パターンは内的な判断、思考作業が苦手で、感情や漠然とした印象に振り回されて大げさな反応になります。つまり客観的事実よりも印象を表現するだけです。前述の杉村議員が当選直後の表情をテレビで観たとき、話の内容に合わせた大仰さが目立ち、周囲が自分に注目しているという高揚感に乗じ、ムードを盛り上げる目立ち屋です。
次に取り上げたいことは“ナルシスト”です。この言葉の由来はギリシア神話にあり、フロイトがその著書で紹介しました。その意味は自己評価の仕方に問題がある人で、“自己愛性性格者”と捉えています。自己評価の仕方とは、子どもの成育過程で親が子どもを極端に過大評価し、甘やかすことによって性格形成上、自分の行動を律する感情を体験しないまま成長したことに起因します。彼らは楽天的で高揚した空気の中で大人物風の挙動を示します。このように高すぎる自己評価は失敗しても、他人や外的要因になすりつけ無傷のまま自分を正当化します。従って失望感や挫折感を抱きません。この自己愛性性格者は演技性性格者と同様に目立ちたがり屋です。演技性のそれが賑やかな目立ちに比べて、自己愛性のそれはお高くとまった冷やかさで超然と澄ました感情をもち、自信過剰で他人に賞賛されるために目立ちたがります。
現代の日本社会は、目立ちキャラクターが大半の人々に好感をもって受け入れられています。その理由は率直に感情を表出しているように見えるからです。自然体で見ていて楽しめる人が好ましい人物像になっているからでしょう。
違法・脱法行為で社会を騒がせたホリエモンはパーソナリティ14類型から分析すれば、自己愛性性格者ではなく、“反社会性性格者”でしょう。彼は自己顕示欲が強く、理念的・観念的思いが失せて、活動的・能動的突っ込みでした。現実の世界で法令違反しても欲するものを獲得しようとしました。市場主義観の人で、法に適う異端者とは似て非なる人でした。また、村上ファンド代表者も同じく市場主義者でした。上場企業の株を大量に取得して経営にモノ申す投資家として時代の寵児ともてはやされました。しかし買い占めた株を高値で売り抜けて利益を得ることに慢心しました。証券市場の改革者が2002年から投機資金による破壊者(株主権乱用)になり、インサイダー取引違反で逮捕されました。両者の事件は同根と言えます。
目立つことが肯定的な価値とみる人間観が、あらゆる年齢層に横行しています。1970年代までは、外面を装飾することは軽薄な行為であり、“人間は中身が大切”“内面を磨く”という価値観がありました。言い換えれば、精神主義が主流でした。つまり人間性を高め、素晴らしい人格を身につけることを人生の目的としました。そのために人に尽くす、自分を戒めてエゴを抑える、人生に耐える等を通して、人格を高めるという心がけでした。また“善根は善果を生み、悪根は悪果を生む”という因果応報の法則も重視しました。
しかし当今は目立ちの肯定により、内面の消失が何をもたらすか、人間の成長のための思考の喪失を危惧することは、詮方ないことかと思い巡らしています。
村井 徹

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