村井徹/監査役 セイコー株式会社を退職後、経営コンサルタントに携わり、現在、当社の監査役等を務める。
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今回も前回に引続いて、「礼儀作法の再興」を認めます。 敗戦後、国民は自信喪失して価値基準を見失った親の世代が、権威と自信をもって子どもに是非、善悪や正邪のみきわめを教えてこなかったことが、自由、個人の権利の意味を誤解して、自由は野放しの放任、個人の権利はエゴに歪曲され、何をしても自由という社会通念が蔓延しています。このことは、人の行動を律する内なる規範を喪失したことになります。それではどうすればよいか。要約すれば躾が子どもを自律的人間に育てる。社会文化としての作法。について言及します。 新しく生まれた幼児に言葉づかい、立居振舞、ものごとのさばき方などを親が教えることを躾と言いますが、子どもが社会で通用する人間になる第一歩です。今日、躾がなおざりになったのは、親が躾を受けてこなかった世代であり、子どもの自由放任を良しとする風潮があります。しかし、躾の基本は食事の作法と言葉づかいで、子どもが幼くとも親とは違う独立した人格として接する心構えがあればこそ、通用する作法が伝授されます。 次に社会文化としての作法ですが、日本の作法は形として、振舞いを通して習得された身体性をもち、身体で捉えられたとき、作法は心を伴います。人は個人あるいは社会との関わりの中で、心が落ち込んだり、萎えたとき、回復のきっかけは社会との関わりにあります。社会の常識や慣習に合わせて自分の思考行動を調整することを自己規制と言います。自分の考えを社会の価値観に沿うよう修正することが必要で、そのために善悪美醜の価値基準をもち、ひとりよがりな欲求を抑える学習、考える力をつけさせることでしょう。 社会の大人たちが若者を含めて現実性を帯びた夢を抱かせるような社会づくりの再興ができるかどうかに関わっているのではないでしょうか。 人が極限状況に至ったとき、理性とか論理でなく、日頃、無意識にとっていた振舞い方が行動を決定します。 文化は学問や芸術だけでなく、食事の仕方、挨拶の仕方もこの範疇に入り、社会的に伝承される生活様式のすべてが文化に含まれます。いつの時代でも、人間だけがもつ感情領域である情操と真善美聖の価値の認識が問われることを銘記したいところです。