村井徹/監査役 セイコー株式会社を退職後、経営コンサルタントに携わり、現在、当社の監査役等を務める。
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外注の某デザイナー 魅惑のバイオリニスト「O川さん」 某ディレクター 熱いベーシスト「K名さん」 同じく某ディレクター クールなギタリスト「A和君」 そして某外注スタッフ 職人ギタリスト「F田」 この4人で忙しい仕事の合間をぬい、月一のペースでスタジオに入りセッション。 環研にきて、はや一年ちょっと。 仲良くなった方たちがたまたま楽器をやっていて、しかも全員楽器が違うという偶然。 「これは一回セッションするしかないよね」と前述のO川さん。 その言葉にノリノリの僕ら3人。 初めてのセッションの日、あまりの面白さにスタジオをハシゴするという暴挙。 たった2、3時間のセッションでは満足できない4人。 遊びとは言いつつも演奏中の顔は真剣そのもの。 無言のままひたすら弾きつづける。 音楽に言葉はいらないなんてうまい事言ったものだ。 ゲストを呼び新しい出会いも。 なかなかに充実した休日。 何度も同じ曲を演奏し、だんだん息が合ってくる。 完成に近づきそろそろお開き。 そして一ヵ月後には全て忘れている4人… 福田
今回のテーマは、「コンセンサスの日本的意味」です。この言葉は、提案や行動のあり方を積極的に指示することを意味しますが、日本では決定したことを覆すことのない状況にすることを言います。これは義理の貸借であり、根回しに相当します。一見、本物の意見一致であるかのようですが、面子維持であり、自分をそれに合わせて調整します。従って、少数意見は集団にとって邪魔になり、統一性を脅かすと見做されます。そして根回しを支持する以外の選択の余地はなくなります。しかし、決定に対して強く反対の気持を持ち続け、他にも自分と同じ考えの者がいるとき、集団の中で闘うよりも新しい仲間・グループをつくる可能性を見出すことが、政治、文化や企業に散見できます。 このコンセンサスを生む決定方法には、日本特有の「稟議制」があります。組織の下方の者が起草した提案事項を最上位者まで順次稟議書を回送し承認印をもらう制度です。これは責任拡散であり、責任所在を不明瞭にするものの、今日でも上場企業で適用され続けています。 もう一つ述べれば、日本人が個人としてではなく集団の一員として、物事を決断するというよりむしろ決断させられるとき、その場を支配する一種の圧力、すなわち「空気」が機能します。よく“社内も社外の空気も…である。”と表現します。このように日本人の間にできあがったその空気に事実と論理をもって反対もできない程に極端さがあります。職場の会議でもその会議の空気に黙して従わざるを得ない場合があります。 タテマエが空気になるとき、現実を冷静に直視して考え直す習慣を大切な知恵として身につけ、お互いに(上下関係で)意見交換できる本音が必要で上位者にとっての度量が問われます。 前回の「和」には、調和をはじめ一致、平安、宥和、順応、秩序、和合、妥協といった英語のハーモニーと多少異なる日本固有の特性があります。この「コンセンサス」にも日本では前述のとおりですが、英語の意味には、総意、世論、合意といった民主主義の概念に近いものです。このように日本文化には、外来語を導入するとき、その意義に江戸文化の継承を享受して、解釈していく例が多くあります。
現代社会を形容する言葉は種々ありますが、人との関わりからみれば、モノの氾濫を含めて情報過多の社会に変貌したと言えます。高度情報社会がもたらした24時間機能化は、社会に生活する人の生活も何らかの形で24時間化していきます。このことは社会構造が生活の次元まで浸透していることを象徴しています。 メディアの発展により、誰れでも情報が望むと望まざるとに拘らず、一方的に入ってきます。しかし人に眼を転じれば、人の変らない部分は情報処理能力です。人は外部から情報を取り入れ、既に蓄積された情報、すなわち経験、知識や記憶などと照合して分析して行動を決めます。このように情報処理は人が生きていくうえでの基本であるものの、同時に脳の基本的機能です。人の脳は数万年という時間をかけて現在のような基本的機能を進化させました。しかし社会の変化が急激であっても、脳機能もそれに応じて変化することはできません。従って情報過多という社会の変化と変らない脳機能の迫間で混乱して疲弊しているのが現代人ではないでしょうか。 現代人が直面する最難題は老若男女を問わず“決断力”です。家庭生活、学校生活や社会生活でも、優柔不断に陥り、無自覚なまま誰かに、あるいは本やメディアの内容を妄信して決断を頼る行動が多くなっています。このことは他者が提供する考えを盲目的に取り入れるだけで、自分で考えをつくりあげ、育てることを避けているのかも知れません。本来、情報は自分の判断の助けとして利用するものであり、丸ごと取り入れてしまうと、自分と他者のどちらに主体があるのか分からなくなってしまいます。われわれは情報の多さに無意識に逃れたり、鵜呑みにしたりして、自ら物ごとを判断して決めることが不得手になっています。心理学でいう人が主体的に生きることを放棄しています。人は何かを決めるとき、迷い悩むのは当然ですが、必要な情報と不必要な情報を自ら選別し、自分の脳が扱える情報に収めることが必要です。そして自分の判断で物ごとを決める力を育てることが子どもも大人も大切でしょう。 何かを判断するということは、ある一つのものを選ぶことになります。このとき、それ以外のものを捨てるという決断も同時に行います。会社という組織の中で、日常的な判断から、会社の将来を決める局面まで、種々の判断があります。物ごとを決められない要因には、決断に伴い何かを失うリスクを背負いきれない自分で判断や決断できない、があります。何故そうなったのか。それは子ども時代から状況に応じて適切な判断・決断を自ら行わず、無意識に誰かに決定を委ねて大過なく大人になってしまったことにあります。従って大人になっても、決めなくてはならない事態に直面しても、無自覚のまま誰かに決断を頼るわけです。人はその時々に自分で考え得る範囲で決断したことを受け入れていくしかありません。自分で決めた以上、与えられた条件下で、どうすればいいかを考えて行動する自覚が必要です。過去の選択と決断が妥当であったかどうかに執着しても先には進めません。仮に決めたことに納得がいかない場合、再度決め直すのも一つの手です。 世の中は情報が氾濫し、それに翻弄され、また迷いを解消するために新たな情報に惑わされます。人は情報を処理できなくなると、多くの情報を放棄し自分が迷っていることすら気がつかなくなる恐れがあります。 決断力を育むにはどうすればよいか。物ごとの決定はイエスかノーを判断するだけではなく、その結果に責任をもつことも含まれ、決定と責任は不即不離です。自由な社会は逆に選択肢を増やし、迷いを起こしやすい社会という皮肉な面もあります。結論的に言えば、判断能力は生得的に備わるものではなく、脳の成長過程で習得するものであり、思考や感性など内面の充実を図るしかないようです。その留意点は論理的に筋が通っているだけではなく、感受性といった情緒をもてば、適切な判断の出発点を選択できます。つまり人間としてのスケールの大きさとは、理性と感性のバランスにあり、私は“総合判断力”と捉えています。 企業では経営者の最も重要な仕事、それは自社を将来どういう方向にもっていくかを常に考え、最善の判断と決断を下すと同時に、実際にその方向に自社を導くことにあります。わが国初の超高層ビル(霞が関ビル)を建設するなど先駆的役割を果たした鹿島建設、鹿島守之助氏は“決断なき中途半端は最悪”と喝破しました。 決断力は人生でも、企業活動でも躍進への原動力と言えます。
寒さに強い犬にあやかって・・・ということでもないと思いますが、 今年の冬は、例年になく寒さが厳しいようで、 暖冬に慣れてしまった雪国の人々も、 近年、経験したことのない積雪量にびっくりされているようです。 ただ、厳寒の冬の中で、景気回復の足音は確実に大きくなっているようで、 長い間、壁に貼ってあって色褪せしまった、「明けぬ闇夜はない」という標語が書かれた紙が こころなしか、かがやいて明るく見えるのが不思議です。 冬の寒さが厳しければ厳しいほど、春の有り難味が強く感じられるそうです。 15年余という記録的な不景気の後に来る「春」。 高度成長期のように、誰にでも訪れる春・・・ではないようですから、 周囲をよく見渡し、知恵を絞って、春のぬくもりを少しでも味わってみたいものです。
末筆ながら、皆様のご健康とご多幸、そして益々のご発展を心より祈念申し上げております。 平成18年正月 株式会社 環境計画研究所 代表取締役所長 竹内義雄