村井徹/監査役 セイコー株式会社を退職後、経営コンサルタントに携わり、現在、当社の監査役等を務める。
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自然界では“共生”という営みが広く行われています。互いに密着し生育し利害を共にしているからです。一方、人間社会では“共生の時代”といわれ20世紀までの消費文化による自然破壊を危惧して、地球と人間の共生を図ることを目指しています。 人間に目を転ずれば、現代は絶対的な価値基準が失われ、善と悪の境が霞んで不安な時代といいます。現代社会は五無主義ー無関心、無感動、無趣味、無気力と無責任が20年前から指摘されています。社会性としての人間関係の希薄さが大きな問題となっている現代社会は、他人の気持や立場を理解し、また理解してもらえず、人と人との心の触れ合いや思いやりを育てることが難しくなっています。人間関係を築くうえで“共感性”は重要ですが、このことについて哲学、倫理学や心理学により、昔から研究されているものの、矛盾や混乱があるのも事実です。 前文が長くなりましたが、今回も含めて2回にわたって「思考の段差」について日頃思う事柄を記述します。
1.子どもと大人のものの見方 子どもはものごとを主として“好き嫌い”で見たり聞いたり感じたりしますが、大人はそこに“必要があるか”や“関心があるか”という別のモノサシが加わります。世の中には「大人の子供化」現象があり、単に好き嫌いでものごとに接して、必要の有無という尺度で計れない大人がいます。一方、「子どもの大人化」とはゲームやパソコンにのめり込み情報を大量に入手して、豊富かつ雑多な知識をもちますが、受け止めるものと吐き出すものとの間にバランスが崩れ、仮想の世界に安住します。昨今の青少年犯罪にこの手のものが多くなっています。これはもって生まれた子どもの感性の未熟さにあります。近年、核家族化と家庭団欒の減少化により、子どもの健全な成育が躾も含めて損なわれているためです。
2.ものごとを知る態度 幼児はものごとを感覚的に知ろうとするとき、眼を輝かせ素直に知ろうとする心があります。これは自分の心や意識を無にしているからです。大人になってもこの心の持続が大切で、ものごとの本質を知るためには、判断を先ず停止して脳の中に全面的に受容して、それから反芻して考え、自分の意識に新しい知識を定着させ根付かせることです。 世間では“自らの視座を確立して見よ”“全て疑って見よ”“予断を持って見よ”といいますが、最初から判断を加えて取捨選択することは、今の自分の知的レベルでのそれであり、それ以上の内容が提示されても遮断する恐れがあります。このことは知識の拡充に当って肝要なことです。また社会生活で、話し上手よりも聞き上手の方が好まれます。後者は深く信頼感をもたらし“優しい人”“大人”“ものごとの本質が判る人”と評価されます。(つづく)
数年前、男の更年期障害に悩まされていました。 症状は欝(うつ)と胸の痛み。更年期障害は、文字通り、壮年から老年に替わる段階での肉体と神経のズレから生じる障害で、男女の区別なくズレの大きい人はずいぶん悩まされるようです。症状を少しでも和らげようと、それまでの車通勤を止めて電車通勤に切り替え、2,3つ遠くの駅で降りて歩くことを心掛けていたときの話です。 同じルートは通るまいと、さまざまな通勤ルートを開拓しており、ある日、官舎が林立する大型団地の中を歩いていました。団地の中の歩行者専用通路が車の通る道路とがぶつかる右手角に立派なプラタナスの木を見つけました。プラタナスはベージュ、黄緑、緑色の斑(まだら)模様の樹皮に特徴のある木で、私の好きな木の一つなので、ほぉ〜と思いながら枝振りを見上げました。そしてその瞬間、感情が高ぶり、涙ぐんでしまったのです。 50才を過ぎたおじさんが、朝の団地の一角で、プラタナスを見上げて涙を流している・・・不思議な光景です。 なぜ、涙が急にこみ上げてきたのか? 木の枝を伐採すると、翌年、切り口周辺からたくさんの枝が吹き出します。植木屋さんなどは、これを「あばれる」と呼んだりするようですが、切られたことに対してまるで木が怒って暴れているようにも見えるからそう呼ぶのでしょう。このプラタナスの枝ぶりを見た瞬間、団地のスケールに合わせて、伸びすぎないように官舎の住人が、あるいは管理人が、4〜5mぐらいの高さで毎年切りそろえて管理していたであろう数十年前の光景が私の目に浮かんだのです。管理していた人の実直さが偲(しの)ばれ、さらにある年を境に、なにかの事情ではしごに登って枝を切る作業ができなくなった無念さを読み取ったのです。暴れた枝が、暴れたままの姿で成長した枝ぶりが、枝の太さから想定すれば、剪定されなくなったのは今から20年以上も昔のことのようです。 毎年、毎年、几帳面に剪定をしていたであろうそのおじさんを、そして剪定できなくなったおじさんの無念さを自分にダブらせた瞬間、涙があふれて止まらなくなったのだと思います。 映画「タイタニック」を観た多くの女性は、涙が溢れてとまらなかったといいますが、「どこで泣けばいいんだろ?」と真剣にストーリーを思い起こしていた鈍感なこの私が、プラタナスの枝振りを見て、涙があふれてとまらないのです。剪定と言う体験をしているからこそできる想像であり、残り少ない人生を気にしている年代だからこそ出せる涙なのだと思います。本、芝居、映画、インターネットなど、疑似体験には事欠かない時代ですが、身体に染み付く実体験こそが、経験と呼ぶべき大切な部分なのだろうと思います。そして多くの場合、経験は時間に比例します。人間にとって年齢を重ねる意味が、このあたりにあるように思います。 現在、世間を騒がせているライブドアとフジテレビの問題も、ライブドア、楽天、ヤフーと並べてみれば、「頭の良さ」ではなく「経験の差」が見えてきます。 最後に、じゃ、普通に育つとどんな樹形になるのか、日比谷公園で似た大きさのプラタナスを撮影してきましたので、ご覧ください。(竹内義雄)