村井徹/監査役 セイコー株式会社を退職後、経営コンサルタントに携わり、現在、当社の監査役等を務める。
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今回のテーマは、「読書の奥義とは何か」です。 読書は江戸時代以降、活字文化の主役でしたが、近年のIT情報時代の到来により、その座が揺らいでいます。 読書と言えば、中国古典に「読書三到」の語があります。三到とは心到る、眼到る、口到るで、すなわち読書の時は、心と眼と口とを十分に働かせて反復熟読すれば、真意を会得できるので特に心到が大切であるという考えです。また、「眼光紙背に徹す」は、ただ字句の解釈に止まらず、さらにその深意に徹することで、前述の三到の中の眼到に相当します。 一般的には読書には、拾読、通読、味読、熟読等があり、味読から熟読するに値する書籍を自分の人生の中で何冊出合うかが、器量形成に多大な影響を及ぼすと思われます。 道端の石ころや草花の1つにも大きな世界へと開けていく感性や知識、思考の入口があり、そのような入口として役立つのが読書でしょう。知識の習得は本来目的でなく、そこから知恵を得る手段、すなわち「知行合一」であるはずです。また豊かな感性を育むためにも、自分用に味読する書籍は不可欠です。 昨今は日常生活の中で読書をする習慣が薄れていますが、読書は著作者の心に入り、一体になって物語に生きてみるという体験があります。また思考のための補助行為です。これは作者という他人にものごとを考えてもらい、思考を刺激させてもらう固有の愉しみです。人生読本の立場で捉えれば、読後、すべてを忘れた後の“残灯、残滴、残照”でしょう。 私の座右書の1つに江戸後期の碩儒者佐藤一斉が19世紀末上梓した『言志四録(げんししろく)』は、修養、処世や教育の心得として、中国明代『菜根譚(さいこんたん)』と同じく心の書であり助言集です。簡明直截にして肺腑に衝く概があり、不朽の名著です。同書は円熟した後半生40年余にわたって一千百三十余から構成。幕末の吉田松陰をはじめ英傑たちは人生指南書とし、維新の原動力になりました。